黒崎蘭丸とQUARTET NIGHT

黒崎蘭丸とQUARTET NIGHT
※個人的な解釈。

 

 


アニメではなかったことにされてるのか、ゲームやって知っておけよってことなのかなんなのかよくわからないのですが、黒崎蘭丸が「死神」って呼ばれてた事実、QUARTET NIGHTじゃなくてもそもそも誰かと一緒に活動していくことにおいて一番ネックというか、本人もそこがカルナイというグループやるにあたって一番の不安要素だったんじゃないかと思ってるんです。

ゲームまでの彼らはほんとつかず離れずで好きな時に集まって好きな時にやって、満足したらばらけて、っていうまさにキングダムで言ってる「いつ辞めてもいい」状態だったんですが、これに関してもゲームでキャラの背景を知ってる知らないではだいぶ違うんではと思ってます。(だからよく考えたら、嶺二がよっぽどこのいつ辞めてもいい状況って深刻だったんではと思うんだけどそれは置いておきます)

信じる矢先に裏切られる、っていう自分へのダメージはもちろんだけど、(これはゲームでもそう言って逃げてただけだとは言っていましたが)それ以前に自分が大切にしてたモノ、仲間が大事にしていたものを、自分が壊してしまうかもしれない不安って相当だと。大事にすればするほど壊れた時の反動がでかいって怖い。

その黒崎蘭丸が、誰かとまた一緒に音楽をやる、っていう決意は、傍からみたら些細に見えることかもしれないけど、本当にすごいことなんじゃないかなって思います。
逆に言ったら黒崎蘭丸が「死神」と呼ばれていたことを知ってる人が、また彼がグループをやるっていうのを知ったら相当驚くんじゃないかと。そんでその驚いた人は、どうせまた解散だろうな、って思っているんじゃないかと。

まず、女が苦手(これもバンド解散する理由に女性がよく関わってきたせいでトラウマみたいな感じ)だから、春ちゃんと向き合うことに対して不安もあっただろうし、カルナイのメンバーとやることも、それこそグループを組んで自分のせいで解散、っていうことを身を持って何度も何度も経験してきている彼だから、人のことを考えすぎて、利己主義になれないランランだからこそ、カルナイっていうグループに向き合うこと自体が正直神経すり減ることだと思う。「いつ辞めてもいい」って思ってないとやってられなかったと思う。本当に。


すり減るよ、しんどいかもしれないよ、それでもきっと黒崎蘭丸は彼らと声を合わせることと、七海春歌の曲を歌うことに「自分が辛い思いして逃げるよりも、グループが壊れてしまう不安よりも、声を重ねることにそれ以上の価値」を見出しているんだよなぁって。
人と関わるのが怖かったのに、人と関わるグループの存在が彼の死神能力抑えるストッパーになっているっていうこの事実、本当にすごいことだし運命ってこういうことなのかもしれないって思ってしまう。ほんっとうに、彼らと出会えて全てが変わったんだなって。自分がまた誰かと共同作業するなんてって思うよね。

それでも、素直に言えないけど、こいつらと音楽やりたいって思ってるからその一心で、彼はQUARTET NIGHTをやることを決意したんだと思います。

先日アンコールで指で4を作るランランを見てぶわああってなって書いたブログ記事でも同じようなこと言ってますが

panda-yalow.hateblo.jp

 

 

何度も考えちゃう

キングダムで楽しそうに、幸せそうに、優しい表情で「QUARTET NIGHT」の一員として、グループの一人としてステージに立っている黒崎蘭丸をみてると
いつもこれを考えちゃうんです。


ここまで来るのにいったいどれほど辛くてどれほどの思いを抱えてきたのかって。

 


辛くても何があってもどうしても音楽だけは手放せなかった黒崎蘭丸に、音楽とステージっていう還る場所を再び与えてくれたうたプリのメンバーたちに、本当にありがとういっても言い切れない。
シャイニング事務所っていう、黒崎蘭丸をまったく怖がらないメンバーが揃いに揃った事務所に入れたこともたぶんとてもとても幸運だったんだと思う。


いちいち何があってもこのことを考えて、泣いちゃうんだろうな私は。